東京地方裁判所 昭和50年(ワ)7835号 判決 1978年5月29日
第一事件原告(第二事件被告、第三事件反訴被告) 岩田正
右訴訟代理人弁護士 石井成一
同 小沢優一
同 小田木毅
同 桜井修平
同 川崎隆司
同(ただし、第二事件につき) 妹尾佳明
第一事件被告(第二事件原告、第三事件反訴原告) 並木精密宝石株式会社
右代表者代表取締役 並木一
右訴訟代理人弁護士 播磨源二
同 小沼清敬
主文
一 第一事件被告は、同事件原告に対し、別紙物件目録記載(一)、(二)の各土地について、東京法務局城北出張所昭和四七年一二月一六日受付第一〇二九五一号所有権移転請求権仮登記の抹消登記手続をせよ。
二 第二事件原告の請求及び第三事件反訴原告の反訴請求はいずれもこれを棄却する。
三 訴訟費用は、第一事件被告、第二事件原告、第三事件反訴原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
(第一事件について)
一 請求の趣旨
1 主文第一項と同旨
2 訴訟費用は第一事件被告(第二事件原告、第三事件反訴原告、以下「被告」という)の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 第一事件原告(第二事件被告、第三事件反訴被告、以下「原告」という)の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
(第二事件について)
一 請求の趣旨
1 原告は、被告に対し、金七〇〇〇万円及びこれに対する昭和五一年八月二六日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 被告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
(第三事件について)
一 反訴請求の趣旨
1 原告は、被告に対し、被告から金一四三四万八〇〇〇円の支払を受けるのと引換えに、別紙物件目録記載(一)、(二)の各土地(以下、一括して「本件土地」という)について、東京法務局城北出張所昭和四七年一二月一六日受付第一〇二九五一号所有権移転請求権仮登記(以下「本件仮登記」という)に基づき、昭和四八年一月一八日売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
2 原告は、被告に対し、本件土地を引渡せ。
3 訴訟費用は原告の負担とする。
4 2につき仮執行の宣言
二 反訴請求の趣旨に対する答弁
1 被告の反訴請求を棄却する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
第二当事者の主張
(第一事件について)
一 請求原因
1 原告は、昭和四七年一二月八日、被告に対し、次のとおり、本件土地を売渡し(以下「本件売買契約」という)、同日、被告から手付金三〇〇万円を受領した。
(一) 代金 金二九三四万八〇〇〇円
(二) 残代金の支払方法
(1) 被告は、原告に対し、本件売買契約についての所轄農業委員会の農地転用許可を確認したのち、三日以内に原告から、本件土地に対する所有権移転請求権仮登記を受けるのと引換えに内金一二〇〇万円を支払う。
(2) 被告は、原告に対し、昭和四八年一月末日までに原告から本件土地に対する所有権移転登記手続及びその明渡を受けるのと引換えに、残代金一四三四万八〇〇〇円(以下「本件残代金」という)を支払う。
2 被告は、昭和四七年一二月一五日、原告に対し前記1(二)(1)の内金一二〇〇万円を支払い、同月一六日、原告から、本件土地について、本件仮登記を経由した。
3(一) 原告は、同月下旬ころ、不動産取引業者である山下富也立会のうえ、本件土地と道路との境界より一尺位内側にそって杭を打ち、その間を鉄条網で囲って本件土地の占有を被告に引渡した。
(二) 仮にそうでないとしても、被告は、昭和四八年二、三月ころ、原告の張った右鉄条網の位置が境界の内側すぎるということからこれを全部撤去したうえ、みずから境界いっぱいに杭を打ちなおし、鉄条網で本件土地を囲んでいるので、この時点では本件土地の引渡があったものというべきである。
4 原告は、昭和五〇年七月八日、被告に対し、本件土地の権利証、委任状、印鑑証明書等所有権移転登記手続をするのに必要な一切の書類を被告会社に持参しこれを現実に提供するとともに、口頭で、一週間以内に原告から本件土地の所有権移転登記手続を受けるのと引換えに本件残代金の支払をするように催告をした。
5 ついで、原告は、被告に対し、同月一六日到達の内容証明郵便で被告の本件残代金の不払を理由として本件売買契約を解除する旨の意思表示をした。
6 よって、原告は、被告に対し、本件売買契約の解除に基づき、本件仮登記の抹消登記手続を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1、2の事実は認める。
2 同3の事実は否認する。
原告が昭和四七年一二月ころ、本件土地上にした杭打ちは原告側の一方的な事情により、管理のためにしたにすぎず、また、被告が昭和四八年、同土地上に鉄条網を張ったのは、原告が本件土地を他に土砂捨場に貸し、泥のため境界石も埋ってしまったが、本件係争の解決次第引渡を受けることになっていたので、原告にきちんとしてほしい旨を申入れ、その結果、原告と一緒になって杭を入れたもので、それは原告の管理を援助するためのものであった。
3 同4の事実は否認する。
4 同5の事実は認める。
三 抗弁
1(一)(1) 本件売買契約には「原告は、本件土地について債務ある場合、取引期日までにこれを抹消して、被告に対し、完全な所有権移転登記をする。」旨の特約(以下「本件特約」という。)があった。
(2) ところで、本件土地について、原告のため東京法務局城北出張所昭和四三年六月七日受付第三六一七四号の所有権移転登記が経由されているところ、本件売買契約が締結されたのちの昭和四七年一二月一四日、右土地について、菅野和子、岩田スミ及び岩田静子の三名を原告、本訴の原告及び岩田ツヤ子の両名を被告とする東京地方裁判所昭和四七年(ワ)第九二一五号所有権移転登記抹消登記手続請求訴訟(以下「別件訴訟」という)の同年一〇月二八日付提起を原因とする、原告の右所有権移転登記の抹消予告登記(以下「本件予告登記」という)がなされた。
(3) しかして、売買の目的である不動産について予告登記がなされた場合は、同不動産に対する所有権を主張する第三者が出現した訳であり、これが右第三者の所有に帰するおそれが生じ、買主は著しく不安定な地位に置かれるに至ったものであるから、本件予告登記は、原告が取引期日までに抹消することを約した本件特約所定の「本件土地についての債務」にあたるというべきである。
(二) 仮に本件予告登記が右「本件土地についての債務」にあたらないとしても、原告は、昭和四八年一月二四日、本件土地に本件予告登記が存することに関連して、本件土地を責任をもって確保する旨約したが、原告は、これにより、本件予告登記を本件残代金支払の取引期日までに抹消する旨を約したものである。
よって、本件予告登記が抹消されない以上、被告が債務不履行に陥ることはないから、右抹消のないままなされた原告主張の本件契約解除の意思表示はその効力を生じない。
2 仮に右主張が認められないとしても、菅野和子ら三名から、本件土地について、別件訴訟が提起され、同土地所有権を主張する第三者が出現したので、被告は、これにより本件土地所有権の全部を失うおそれがあったから、本件残代金の支払を拒絶した。
よって、右1と同様の理由により、原告主張の本件契約解除の意思表示はその効力を生じない。
3 原告は、前記のとおり、昭和四八年一月二四日、被告に対し、本件土地を責任をもって確保する旨約し、これにより本件売買契約の解除権を放棄したものである。
4 更に、原告は、右のとおり、被告に対し、責任をもって本件土地を確保する旨約したうえ、原告が菅野和子ら三名から別件訴訟の提起を受けたそもそもの原因は、岩田権太郎より原告の受けた贈与が他の共同相続人の遺留分を侵害していたことにあるものであり、しかも、同訴訟の提起されたのが昭和四七年一〇月二八日で、本件売買契約締結の日より一か月余り前であることなどからすると、原告には右訴訟が提起されることを予期しえたものといえるから、原告は本件係争による損害を甘受すべき立場にある。したがって、原告の本件解除権の行使は権利の濫用にあたるというべきである。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1(一)(1)(2)の事実は認める。同1(一)(3)は争う。同1(二)のうち、被告主張の約定の事実は認めるが、原告がこれにより本件予告登記の抹消を約したとの事実は否認する。
予告登記は、登記原因の無効又は取消を原因とする登記の抹消又は回復の訴が提起された場合に、裁判所の嘱託により、その訴が提起されたことを登記簿に記載する登記であって(不動産登記法第三条、第三四条)、その効力としては、単に訴が提起されたことを公示することによって第三者に警告を与え、不測の損害を被るのを防止するという事実上の効果があるのみで、対抗力その他の法律上の効力はないものであるから、本件特約により、原告が抹消義務を負った「本件土地についての債務」にはあたらないというべきである。
2 同2のうち、別件訴訟が提起された事実は認めるが、その余の事実は否認する。
3 同3のうち、原告が被告主張どおりの約束をした事実は認めるが、その余の事実は否認する。
4 同4のうち、別件訴訟の提起された事実は認めるが、その余の事実は否認する。
五 再抗弁(抗弁2に対し)
1 原告は、昭和四八年一月二四日ころ、被告に対し、本件予告登記は原告が責任をもって抹消し、万一被告において本件土地を取得することができなかったときには原告がその損害を賠償する旨の確約証を差入れたが、原告は、当時、本件土地の近隣に四〇〇〇坪余の土地を所有し(時価約八億八〇〇〇万円相当)、被告はこれを知っていた。よって、原告は右確約証の差入をもって被告に対し民法第五七六条但書所定の相当の担保を供したものである。
2 仮に右主張が認められないとしても、原告は、その後まもなく、被告に対し、被告において本件土地を取得できなかった場合に被ることあるべき損害を担保するため、石渡義信所有の東京都足立区江北二丁目二六四番畑五七八平方メートル(以下「石渡義信所有地」という)及び石渡ツネ所有の同所二六三番一宅地五六九・八五平方メートル(以下「石渡ツネ所有地」という。右土地は当時いずれも駐車場に使用されていた更地で時価合計金七六三四万円相当である。)を提供する旨申入れたが、被告から同訴外人らとの間に面識がないことを理由に右申入を拒絶された。ついで、原告は、同年三、四月ころ、被告に対し、磯部一好所有の東京都足立区西伊興町四七番三宅地六五〇・四五平方メートル(以下「磯部一好所有地」という。時価金四三一七万円相当)を担保に提供する旨を申入れて前同様相当の担保を供した。
3 更に、原告は、昭和五〇年七月八日、請求原因4のとおり、権利証その他本件土地の所有権移転登記手続をするのに必要な一切の書類を被告住所に持参して同義務履行の提供をした際、それとともに、前同様の被告の被ることあるべき損害を担保するため、磯部一好を同道のうえ、前記同人所有地の権利証、委任状、印鑑証明等の書類を持参して、被告に相当の担保を供することの現実の提供をした。
六 再抗弁に対する認否
1 再抗弁1のうち、原告がその主張する確約証を差入れた事実は認めるが、その余の事実は否認する。
2 同2のうち、磯部一好所有地提供申入の事実は認めるが、その申入のあった時期及びその余の事実は否認する。
3 同3の事実は否認する。
民法第五七六条但書所定の「担保ヲ供シタルトキ」とは、単に売主が相当の担保の提供をしただけでは足りず、買主がこれを承諾したことを要するものと解すべきである。けだし、右の場合における担保は、何をいかなる条件で取得するか買主にとって極めて重大な関心事であるのに、買主の承諾を要せず、売主の一方的な提供のみで足りるとするのは不合理だからである。
また、原告から提供申入のあった担保は、鑑定書の添附もなく価額が不明であるうえ、売主からの申入に対する諾否を決定する猶予期間として、買主が専門家に調査依頼をしてその結果を知りえるに通常必要な期間が買主に与えられるべきであるが、原告が本件で措定した一週間の期間はこれに足りない。
(第二事件について)
一 請求原因
1 第一事件請求原因1、2のとおり
2 しかるに、被告は現在まで原告に対し、本件土地の所有権移転登記手続をしない。
3 被告は、原告の右債務の不履行により、次のとおり、損害を被った。
(一) 逸失利益
被告は、本件土地を取得したのち、同地上に鉄骨コンクリート造四階建作業所兼事務所兼倉庫(以下「本件作業所」という)を建築し、同所においてカートリッヂの生産を行うことを計画していたものであり、本件売買契約で約定されたとおり、昭和四八年一月末日までに右土地の明渡を受けていれば、少くとも同年六月末日には生産を開始できたはずである。しかして、右カートリッヂの予定生産数量は月産四万個(単価金二五〇〇円)で、諸経費を差引いても月額金四六〇万円の利益を上げることは確実であったもので、同年七月一日から昭和五一年六月末日までの逸失利益は合計金一億六五六〇万円となる。
(二) 計画変更に伴う費用
被告は本件土地上に本件作業所を建築することができなかったので、被告所有の東京都足立区新田二丁目八番地七の地上に、昭和四八年三月三一日及び昭和四九年一〇月三一日の二度にわたり、プレハブ造倉庫の仮設建築を余儀なくされたが、右の費用の合計は金一〇八七万円になる。
(三) 建築費増加費用
被告は、前記のとおり、本件作業所を昭和四八年上半期に建築する計画であったもので、当時建築すれば工事費用は金七九二三万四〇〇〇円であったが、現在においては、その後の資材、人件費等の上昇により、少くとも金一億二〇一五万円を下らないから、右両者の差額の金四〇九一万六〇〇〇円も被告の被った損害である。
4 よって、被告は、原告に対し、原告の債務不履行に基づき、右損害賠償金合計金二億一七三八万円の内金七〇〇〇万円及び本訴状送達の翌日である昭和五一年八月二六日から完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(第一事件請求原因1、2)の事実は認める。
2 同2(一)ないし(三)の事実は否認する。
三 抗弁
第一事件請求原因3ないし5のとおり
四 抗弁に対する認否
第一事件請求原因に対する認否2ないし4のとおり
五 再抗弁
第一事件抗弁1、4のとおり
六 再抗弁に対する認否
第一事件抗弁に対する認否1ないし4のとおり
七 再々抗弁
第一事件再抗弁1ないし3のとおり
八 再々抗弁に対する認否
第一事件再抗弁に対する認否1ないし3のとおり
(第三事件について)
一 反訴請求原因
1 第一事件請求原因1、2のとおり
2 よって、被告は、原告に対し、本件売買契約に基づき、被告から本件残代金一四三四万八〇〇〇円の支払を受けるのと引換えに、本件土地について、本件仮登記に基づく、所有権移転登記手続をすることを求める。
二 反訴請求原因に対する認否
1 反訴請求原因1(第一事件請求原因1、2)に対する認否は第一事件請求原因に対する認否1のとおり
三 抗弁
第一事件請求原因3ないし5のとおり
四 抗弁に対する認否
第一事件請求原因に対する認否2ないし4のとおり
五 再抗弁
第一事件抗弁1ないし4のとおり
六 再抗弁に対する認否
第一事件抗弁に対する認否1ないし4のとおり
七 再々抗弁
第一事件再抗弁1ないし3のとおり
八 再々抗弁に対する認否
第一事件再抗弁に対する認否1ないし3のとおり
第三証拠《省略》
理由
第一第一事件について
一1 請求原因1、2及び同5の事実は当事者間に争いがない。
2 《証拠省略》を総合すると、原告は、被告と本件売買契約を締結し、被告に本件仮登記をしたのち、昭和四七年一二月下旬ころ、被告から、本件売買を仲介した不動産取引業者の山下富也から、本件土地が荒れ地状態になっているのできちんと管理をしてほしい旨の申出を受けたこと、そのため、原告は、そのころ、本件土地の地表を片付け、境界の周辺に、境界線より約一〇センチメートルほど内側の位置に木杭を打ち、その間を針金で結んで囲いをしたこと、被告は、それから一か月ほどしたのちの昭和四八年一月下旬ころ、当時はすでに原被告に本件係争が発生していたが、本件予告登記がすみやかに抹消されれば、残金を払って本件土地を取得したいとの意向から、原告の承諾を得たうえ、本件土地の境界標識を厳格にし、区画を明確にするため、原告の施した前記の木杭を撤去したうえ、みずからの費用と材料でもって、改めて境界線上に木杭を多数打ち込んで、その間を鉄条網で張りめぐらす工事をして、そのころ、原告から本件土地の占有の移転を受けるとともに、その後、山下富也に本件土地を管理させるに至ったこと、以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
3 《証拠省略》によると、本件土地の地目はもと畑であるが、都市計画法第七条第一項、第二三条第一項所定の市街化区域内にある土地であったので、原被告は本件売買契約締結後、昭和四七年一二月二〇日付で東京都知事に農地法第五条第一項第三号の規定による農地転用の届出をし、右届出は昭和四八年一月一八日に受理され、同月二三日付で原告に対しその旨が通知されたこと、原告は、その後、右の農地転用届出受理の通知書を被告に交付し、被告はそれにより右事実を了知するに至ったこと、しかるのち、原告は、昭和五〇年七月八日、所有権移転登記手続をするに必要な本件土地の権利証、原告の実印、印鑑証明書、委任状を持参して被告会社に赴き、本件売買契約に終始関与した被告常務取締役の長岡虎雄(以下「長岡常務」という)に対し、右書類の交付と引換えに本件残代金の支払を求めたが、同人の返答は社長と相談をして回答するというのみで、右要求を拒絶されたこと、そこで、原告は、長岡常務に対し、一週間以内に本件土地の所有権移転登記手続をするのと引換えに本件残代金の支払をするように催告してその場を辞去したこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
二 そこで、被告の抗弁について判断する。
1 抗弁(一)(1)、(2)の事実は当事者間に争いがない。
2 本件予告登記が本件特約で定められた「本件土地についての債務」にあたるか否かについて考える。
(一) 《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》すなわち、
(1) 本件予告登記は、菅野和子ら三名が原告ほか一名を被告として昭和四七年一〇月二八日、東京地方裁判所になされた別件訴訟の提起を原因とするものであるが(この点は当事者間に争いがない。)、右訴訟の訴状が原告に送達されたのは、同年一二月一五日午前一一時二〇分で、本件売買契約を締結した当時、原被告は右別件訴訟提起の事実を知らなかった。
(2) 本件特約は本件売買契約書に不動文字で印刷されているもので、本件売買契約が締結された当時、本件土地上には抵当権その他の担保権や賃借権その他の用益権なども設定されておらず、原被告は、本件特約を結ぶにあたり、どのような事由が前記の「本件土地について債務ある場合」にあたるかにつき、特に話合いをしたことはなかった。
(二) ところで、予告登記は、所有権保存(又は移転)登記のなされている不動産について、登記原因の無効又は取消(ただし、この場合は取消をもって善意の第三者に対抗しうる場合に限る。)による登記の抹消又は回復の訴が提起された場合に受訴裁判所の職権による嘱託に基づいてなされる登記であり(不動産登記法第三条、第三四条)、これにより、当該不動産について、右のような訴の提起があったという事実を公示し、第三者に警告を与えようとするもので、その効果は、事実上のものであるにとどまり、他の登記と異なり、不動産の物権変動における対抗力(民法第一七七条)、順位保全の効力(仮登記の場合、不動産登記法第七条第二項)や権利の適法の推定力(民法第一八八条)などはない。また、予告登記の抹消は、不動産登記法第三条所定の前記訴を却下する裁判又は原告敗訴の裁判が確定したとき、訴の取下請求の放棄及び請求の目的につき原告に不利益な和解があったときに予告登記をした裁判所からの職権による嘱託に基づいてなされる(不動産登記法第一四五条第一、二項)。
したがって、予告登記は不動産の売主(所有者)になんらの帰責事由や原因がないのに登記されることがあるのを否定できないし、訴訟が解決に至るまでには通常相当の期間を必要とするのは周知の事実であることにかんがみると、本件のように、売買契約を締結し、手附金の支払を終えたのちの残代金の支払方法に関し、売主がその残代金支払の取引期日までに当該予告登記を抹消しなければならないとするのは、いささか売主に酷であると言わなければならない。この点は、被告において「本件土地についての債務」にあたる例として挙げる抵当権や質権が設定されている場合、競売の申立があった場合には不動産所有者の抵当権設定、質権設定の合意や、金銭債務の不履行などがあるので、同一には論じられない。のみならず、前叙のとおりの予告登記の性質、効果によれば、これが、不動産所有権に付着した制限物権や差押などと同様の権利自体の瑕疵といえないことも明らかである。更に、被告は、予告登記がある場合は買主が極めて不安定な立場に置かれることになる旨を主張するけれども、予告登記がなされるような場合は民法第五七六条本文所定の事由ある場合にあたると考えられるので、買主は代金支払の拒絶権ないし代金の供託請求権(同法第五七八条)を行使してその利益を擁護しうるから、大した不都合はないというべきである。
右のとおり考えると、前記二2(一)認定の事実によっては、本件予告登記が前記の「本件土地についての債務」にあたるということはできない。
3 次に、原告が、昭和四八年一月二四日、被告に対し、本件土地に本件予告登記のなされていることに関連して、本件土地を責任をもって確保する旨約した事実は当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、原告が右約束をしたのは、原告は、当時、極めて多額の贈与、相続税を負担し、被告に本件土地を売却した動機も、その代金をもって右税金の支払にあてようとするものであったが、本件係争のため、被告からの本件残代金の支払がなされなかったため、右約束に加え、被告が本件残代金を支払ったにもかかわらず、本件土地を取得することができなかったときには、原告において、被告に対し、その一切の損害を賠償する旨をも約したうえ、さしあたり本件予告登記の存在するままの状態で、原告から被告に対し所有権移転登記をするので、被告は、右登記と引換えに、本件残代金を早急に支払ってほしいとの趣旨でしたものであったと認められるものであって、右の域を超え、原告が、右約束により、被告に対し、被告から本件残代金の支払を受ける取引期日までに本件予告登記を抹消する旨を約したと認めるに足りず、他に被告主張を肯認するに足りる証拠がない。
4 進んで、抗弁2についてみるに、菅野和子、岩田静子、及び岩田スミの三名が別件訴訟を提起した事実は当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、右訴訟は、もと本件土地及びその他多数の不動産を所有していた岩田権太郎の三女である菅野和子、その四女である岩田静子、その後妻である岩田スミが、その養子である原告及びその次女で原告の妻である岩田ツヤ子に対し、原告に対する昭和四三年四月三〇日付本件土地の贈与の不存在又はこれにより共同相続人である右三名の遺留分が侵害されたことを請求原因として、本件土地等について、原告に対し、第一次的に原告名義の所有権移転登記の抹消登記手続、第二次的に菅野和子及び岩田静子の両名が各一五分の一、岩田スミが六分の一の共有持分を有する旨の更正登記手続を求めた内容のものであったこと、原告は右訴訟に応訴抗争し、同訴訟が解決したのは昭和五二年三月一八日裁判上の和解が成立したことによるものであるが、右和解において、原告は本件土地全部の所有権その他を取得したが、本件土地でない他の土地について菅野和子ら三名の共有持分を認めたこと、以上の事実が認められ、右認定の事実によれば、被告は、菅野和子らの権利主張により、本件売買契約を締結した本件土地の全部又は少くともその一〇分の三の部分(前記菅野和子ら三名の遺留分の合計)を失うおそれがあったものと認められる。
三 そこで、更に、原告の再抗弁について判断する。
1 《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》すなわち、
(一) 原告は、前記一3のとおり昭和四八年一月二三日付で、東京都知事から本件土地にかかる農地法第五条第一項第三号の規定による届出を受理し、同月一八日にその効力が生じた旨の通知を受け、被告に対して本件土地の所有権移転登記をする法律上の障害は一切なくなり、いつでも本件仮登記に基づく本登記をすることができる状態になったのにもかかわらず、被告が本件残代金の支払を拒絶していたので、同月二四日、被告に対し、本件予告登記は原告が責任をもって抹消し、万一、被告において本件土地を取得することができなかったときには、原告がその損害を賠償することを約し、その旨の確約証を差入れたものであり(右のうち、右確約証差入の事実は当事者間に争いがない。)、原告は、当時、本件土地のほかに相当多数の土地を所有し、被告も原告が大地主であることを了知していたが、原告所有地はおおむね、別件訴訟で、本件土地とともに係争中で、右土地上に担保権を設定するために必要な権利証、印鑑証明書等の必要書類を被告に提示したこともなく、この際は、前記確約証に記載されたとおりの意思のあることを表明、申入れるにとどまった。
(二) 次いで、原告は、その後まもなく、事情を知った原告の叔母にあたる石渡ツネ及び原告の叔父にあたる石渡義信夫婦の承諾を得て、同人らを同道して被告会社に赴き、同人らの所有地を担保に差入れる旨を申入れたが、同人らは本件売買に関係がなく、面識もないとの理由で、被告から右申入を拒絶された。
(三) しかるのち、原告は、同年二、三月ころ、事情を知った東京都足立区内において農業を営む実兄の磯部一好の承諾を得、同訴外人ともども、被告に対し、同人所有地を、被告が万一、本件土地を失った場合に被ることのあるべき損害賠償債務を担保するため差入れる旨を申入れた。右磯部一好所有地は、現況の地目が宅地で、幅員三〇メートル余の国道放射一一号線と幅員七メートル位の舗装道路に面した角地に位置し、本件土地より面積も広く、時価も相当高い土地であり(本件土地売買代金の三・三平方メートルあたり金二三万円の条件で試算しても、金四五三三万円余となる。)、磯部一好は右土地のほか、同地の地続きにも相当数の土地を所有していた。長岡常務は、右申入があってからまもなく、磯部一好方を訪ね、同人から前記磯部一好所有地の権利証を見せてもらったうえ、同人の案内で現地を実地見分し、その結果、右磯部一好所有地は十分な担保力があるとの心証を得たが、本件土地については依然として本件予告登記が存在し、係争中であったので、最悪の結果になったときのことを終始強く危惧し、磯部一好からの本件残代金の支払の催促も無視し、右土地を担保にとるかどうかについて回答しないまま長い間放置した。
(四) そして、原告は、昭和五〇年七月八日、前記一3のとおり、本件土地の所有権移転登記手続の履行の提供と本件残代金の支払を催告した際、同道した磯部一好には磯部一好所有地の権利証、同人の実印、印鑑証明、委任状を持参させたうえ、重ねて、右土地を担保に差入れる旨を申入れたが、長岡常務はこれに応ぜず、単に社長と相談をして返事をすると答えるにとどまったため、右土地上に設定する担保権の内容や担保条件について話合いに入ることができず、長岡常務の右のような返答もあったので、一週間内に回答をするように求めてその場を辞去した。これに対し、被告の意向は、少くとも当時は、もはや、本件予告登記の存在するままでは、本件残代金を支払って本件売買を完了させる意思を有しておらず、原告からの右催告に対しても、一週間の回答猶予期間が短かく、不十分である旨を申し述べることもなく、右土地の時価などを調査した形跡もない。
なお、被告は、本件土地上にカートリッヂ用換針生産のための工場、倉庫等を建築する計画で本件売買契約を締結したものであるが、被告の右計画ないし売買の動機は、右売買契約当時は原告に伝えられず、原告は、それを知らず、本件係争が生じたのち、遅くとも昭和五〇年七月八日の時点においては、右工場の建築計画を知るに至ったが、それまでに被告の計画している工場の用途や生産計画などについては被告から説明がなされず、原告が知っていたのは、右のような程度にとどまった。
2 ところで、民法第五七六条の趣旨は、売買の目的につき、第三者が所有権その他の権利を主張し、これがため客観的にみて買主がその買受けた権利の全部又は一部を失う危険性がある場合には、当該第三者の権利の存在がまだ確定しない間においても、公平の観念上、買主にその間代金支払拒絶権を与えることによって、その損害の発生を未然に防止する(同条本文)とともに、売主が相当の担保を供したときは、買主の右危険が解消されるとの前提に立って、その場合には買主の代金支払拒絶権を消滅させて売主の利益の保護をも図って(同条但書)、両者の利害を調整しようとするものと解せられる。しかるときは、同条但書にいう売主が「相当ノ担保ヲ供シタルトキ」とは、原則として、売主が、買主に対し、前叙のような買主の被ることのあるべき損害を補償するに足りる担保又は担保権を、単にその提供方を申入れるだけではなく、買主に同担保又は担保権を取得させるのが最善ではあるが、他方、買主が担保又は担保権を取得するには、売主の一方的な行為だけでは足りず、買主の協力を欠かすことはできないから、衡平上売主が相当な担保の現実の提供をすれば足りると解するのが相当である。
そうだとすると、右認定事実によれば、被告は担保権を取得するに至らなかったが、それは、原告において被告が本件残代金の支払を了したときに被ることのあるべき損害の担保を提供する旨申入れをし、かつ、右担保は前記損害を補償するに足りる相当なものと認められるのにかかわらず被告は、正当の事由がなく、これを拒絶したことによるといわざるをえないので、原告はそれをもって、「相当ノ担保ヲ供シタ」ものということができる。
四 翻って、抗弁3、4について判断する。
1 抗弁3のうち、原告が、昭和四八年一月二四日、被告に対し、本件土地を責任をもって確保する旨を約した事実は当事者間に争いがないが、原告が右約束をした趣旨は前記二3認定のとおりであって、原告がこれにより本件売買契約の解除権を放棄したものと認めるに足りず、他に被告主張を肯認するに足りる証拠がない。
2 抗弁4のうち、原告が右のとおり、被告に対し、責任をもって本件土地を確保する旨約した事実は当事者間に争いがなく、別件訴訟が岩田権太郎と原告間の本件土地の贈与の不存在又は菅野和子ら三名の共同相続分の合計一〇分の三の遺留分が侵害されたことを請求原因とするものであることは前示のとおりであり、右訴訟の提起されたのが昭和四七年一〇月二八日で本件売買契約締結の日より一か月余り前であるにしても、原告が右契約を締結した当時、別件訴訟の提起された事実を知り、又は予期しえたとの事実はこれを認めるに足りる証拠はなく、原告が本件係争による損害をすべて甘受すべき立場にあるものとは即断することはできず、他に、原告の本件解除権の行使が権利の濫用にあたるとの事実はこれを認めるに足りる証拠がない。
五 したがって、被告は、原告に対し、本件土地について、本件仮登記の抹消登記手続をする義務があるというべきである。
第二第二事件について
一 請求原因1(第一事件請求原因1、2)、2の事実は当事者間に争いがない。
二 次に、抗弁(第一事件請求原因3ないし5)に対する判断は、前記第一、一1ないし3説示のとおり。
三 次に、再抗弁のうち、(第一事件抗弁1、2)に対する判断は、前記第一、二1ないし4説示のとおり。
四 更に、再々抗弁(第一事件再抗弁1ないし3)に対する判断は、前記第一、三説示のとおり。
五 翻って、再抗弁(第一事件抗弁3、4)に対する判断は、前記第一、四説示のとおり。
したがって、原告の本件請求はその余の点について判断するまでもなく、失当というべきである。
第三第三事件について
一 反訴請求原因1(第一事件請求原因1、2)の事実は当事者間に争いがない。
二 次に抗弁(第一事件請求原因3ないし5)に対する判断は、前記第一、一1ないし3説示のとおり。
三 次に、再抗弁(第一事件抗弁1、2)に対する判断は、前記第一、二1ないし4説示のとおり。
四 更に、再々抗弁(第一事件再抗弁1ないし3)に対する判断は、前記第一、三説示のとおり。
五 翻って、再抗弁(第一事件抗弁3、4)に対する判断は、前記第一、四説示のとおり。
したがって、反訴原告の本件請求は失当というべきである。
第四結論
以上の次第であるから、原告の第一事件請求は理由があるのでこれを認容し、被告の第二、三事件の各請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 丹野達 裁判官 榎本克巳 裁判官宇田川基は職務代行終了のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 丹野達)
<以下省略>